近代マーケティングの父 フィリップ・コトラー教授の知られざる魅力

グローバル・リーダーの横顔
Vol.23ジャスティン・クレイグ ②
Vol.23ジャスティン・クレイグ ①
vol.22吉田 忠裕
vol.21ハビエル・ロペス
vol.20ランドバーグ 史枝
vol.19矢倉 純之介
vol.18元永 徹司
vol.17大里 真理子
vol.16秦 孝之
vol.15柴田 光廣
Kellogg School of Management
ケロッグ経営大学院のご案内
ケロッグ経営大学院について
ケロッグ・クラブ・オブ・ジャパンについて
書籍紹介
掲載メディア紹介

Interview グローバル・リーダーの横顔

ビジネス界で活躍しているグローバル・リーダーの横顔、ビジネスの最先端情報やリーダーシップの真髄に触れるインタビュー。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 昨年末、ニューズウィーク誌に「世界一『チャレンジしない』日本の20代」という記事が掲載されて話題を呼んだ。その内容は、2010~14年の『世界価値観調査』を比較分析したもので、世界各国に比べて日本の若者は圧倒的に、チャレンジを恐れ、保守的であるという指摘だった。将来の見通しが明るくない日本社会において、より安全で安泰な道を選ぶ人が増えていることの現われだろう。このような記事を読むたびに、挑戦をしない事が、かえって自身の道を狭めたり、経済格差の原因の一つとなっているのではないかという思いがあった。

 今回、ご登場いただく矢倉純之介さんは、たとえ失敗するリスクがあっても、常に“挑戦”の道を選んできた若きビジネス・プロフェッショナルである。サントリー株式会社(現:サントリーホールディングス株式会社)を経て、ノースウェスタン大学 ケロッグ経営大学院に留学し、2015年にMBAを取得後、買収先のビームサントリー社のスタッフとして、現在はアメリカで活躍している。

 今回のインタビューでは、ケロッグ経営大学院のキャンパスがあるエバンストン市のホテルでお話を伺うことができた。初めて会った矢倉さんは、真面目で謙虚、慎重に言葉を選びながら話す好青年だった。将来が不透明な時代においても、リスクをとり、挑戦することで人生を好転させた事例として、矢倉さんの経験から学んでみたい。

中学時代~いきなり飛び込んだアメリカ経験

 矢倉さんは小学校を卒業時、銀行員のお父様がアメリカ駐在となり、シカゴに引越しをすることになった。この時、矢倉さんは日本人学校ではなく、現地の中学校を選んだそうだ。お父様もケロッグの卒業生だったので、日本で既に英語に親しむ環境があったのだろうか?

 「いいえ、僕は特段、英語環境に恵まれていたわけでもなく、ごく普通の小学生で、アメリカでは言葉も文化の壁も高かった。現地の中学を選んだ理由は、単純に『面白そう』だったからです。当然、入学当初は、英語がまったく分かりませんでした。でも程なくして、一ヶ月のサマーキャンプに参加し、アクティビティを通して英語でのコミュニケーションを体得し、キャンプ終了時には大体の日常会話は出来るようになっていました。楽しかった思い出となりましたが、持参したポケット英和辞典がボロボロになっていたので、当時は必死だったんだと思います。」

 子どもの持つ好奇心、そして、新しい世界に飛び込む力はすごい。そして結果を出す事によって、「やってみればなんとかなる」という方程式が彼の心に刻まれ、その後の限りない挑戦につながったのだと感じた。

中学生時代の矢倉さん、アメリカにて。リトルリーグでプレーヤーだった事もあり、メジャーリーグ

中学生時代の矢倉さん、アメリカにて。リトルリーグでプレーヤーだった事もあり、メジャーリーグ “シカゴ・カブス(Chicago Cubs)”の帽子が様になっている。

信頼構築のゴールデンルール~”Give”のチカラを全開する

interview19_p5 その後、矢倉さんは高校受験のため帰国、大学卒業後サントリーに入社、事業計画や企画関係の職務に就いた。そして入社5年目に会社がホールディングス化という大きな節目を向かえるのに合わせて、酒類の事業部門と営業部門を分社化するという大プロジェクトの指揮を任された。

 「それまでの仕事は、ある程度自分の裁量と努力で進めることができました。しかしこのプロジェクトは事業のあらゆる側面が関係するので、例えば、ITをどうするか、会計をどう切り分けるか、各種法律関係など、自分では分からないことだらけで、一人で完結できる仕事ではありませんでした。僕にとってはワンステップ上のチャレンジでした。」

 通常、会社全体に関わるプロジェクトを指揮する場合、年齢も経験も上回る各部門のトップから協力を得られなければ、職務遂行は難しい。矢倉さんはどのようにしてこの難題を乗り越えたのか。

 「皆、日々の仕事が第一ですから、プロジェクトは余分な仕事として煙たがられがちです。だから、その重要性を理解してもらって、動いていただくよう働きかけないと業務が回らない。当時、僕は20代後半で、まだ十分な経験や知識がありませんでした。ですから、どういう説得をすれば上の人を動かせるのか、試行錯誤する日々でした。まずはとにかく、数値を詳細に分析し、説得力のあるデータとして提供し、裏づけにすることで、ロジカルで明快なコミュニケーションを心掛けました。」

 さらに、年齢も経験も上である他人や専門家を動かす決定打となったのは、当時の上司から教えられた“信頼構築のゴールデンルール”の実践であったと明かしてくれた。

 「当時、酒類企画部の上司から、貴重なアドバイスを頂きました。それは『仕事は常にギブアンドテイクだが、テイクを求めてギブするのではなく、常にギブだけを意識してやれ。そうすれば必ず自分に返って来る』と。

 この”Giveのチカラ”を信じ、実践した結果、自分の仕事がどんどんやりやすくなり、成果を出す事ができました。いまアメリカでグローバル向けの仕事に携わっていますが、日本だけでなく、海外でも通用する信頼構築の方法だと思います。

 他人と仕事をする場合、どうしても、経験や知識が豊かな相手から与えてもらうこと=テイクばかりが多くなりがちです。そうではなく、まず最初にやることは、いかに相手のプラスになるものを提供できるのかと考えてみる事です。もし僕が提供するものが相手の役に立てれば、とても嬉しいですし、相手も喜ぶ。これが信頼関係につながり、自然な協力体制が構築できるのです。」

interview19_p6
 経験豊かな相手を尊敬し、教わりながら、相手の役に立つよう務め、信頼関係を築くというスタイルは、多様性が高い組織において、極めて重要かつ不可欠なスキルといえるだろう。矢倉さんは、ロジカルな分析力、戦略的な提案力だけでなく、”Give”を実践することで、社内での信望と発言力をどんどん高めていった。

ケロッグ留学での学び:コンフォートゾーンから抜け出せ

interview19_p4 そんな矢倉さんが、せっかく築いた国内のポジションに別れを告げ、新たに国際ステージへのチャレンジを選択した。そのきっかけは、サントリーによるアメリカのウィスキーメーカー、ビーム社買収検討プロジェクトの一員として参加したことだった。

 「ちょうど私が30歳のときでした。ビーム社はアメリカの会社ですから、あらゆる交渉事や、銀行、弁護士とのやりとりに至るまで、日本のルールは通用しません。苦労はしましたが、とても面白くやりがいがありました。これをきっかけに、世界を相手に仕事することの興味が高まりましたし、会社が国際的な事業にむかって舵を取る中で、自分の果たせる役割があるのではと感じるようになりました。

 海外のビジネススクールへ留学して力をつけたいという思いが強くなっていたところ、タイミング良く会社からもオファーがあり、留学を決めました。かつて自分が中学時代に住んだことがある地域であり、父親も卒業生だった事もあって、ケロッグ経営大学院を選びました。

 その時は、まだビーム社買収プロジェクトの途中でしたので、それが完遂できないのが悔しかったのですが、2年間の留学の後、実力をつけて戻れば、もっと会社の役に立てるはずだという思いで、アメリカへ旅立ちました。」

 矢倉さんは自分の方向性をどのような基準で選択しているのだろうか? 失敗は怖くないのだろうか?

 「ケロッグでは、『まずは2年間、コンフォートゾーン(快適で安心な範囲)から出てみろ』と指導されたことを鮮明に覚えています。この考えは、自分のキャリアを考えるベースになりましたし、人を成長させる方法であると思います。

 僕は常々、選択肢を与えられると、失敗するか否か、あるいは大変かどうかといった事よりも、『面白そう』だと感じるほうを選択しています。何か長期的な目標を設定しているわけではなく、その時、その時に与えられたチャンスに乗っかってみるという感じです。

 失敗は決して好きではありません。しかしながら、小さな失敗は恐れることではありませんし、取り返しのつかない失敗に対しては、慎重に避ける努力をしているように思います。」

 矢倉さんの挑戦は、ただ無鉄砲に興味だけで向かっていくのではなく、置かれた立場で得た経験を活かし、新しい知恵や方法を組み合わせて、次のステップに繋げている。最初から将来を決め付けず、若い間にさまざまな経験を重ねていくことでチャンスをうまく呼び込み、キャリアを好転させている好例であろう。

ケロッグ経営大学院の卒業式、息子さんと共に。2016年8月には、第二子が無事誕生。子供を愛する良きパパである。

ケロッグ経営大学院の卒業式、息子さんと共に。2016年8月には、第二子が無事誕生。子供を愛する良きパパである。

新たなる世界~グローバル・プレーヤーとしての挑戦へ

interview19_p3 ケロッグ留学を終えたのが2015年6月。そのまま米国に残る形でサントリー傘下となったアメリカのビームサントリー社に出向し、現在はシカゴのオフィスで働いている矢倉さん。買収先での仕事というと、通常、日本本社のミッション実現のために出向してきた社員であり、本社とのつなぎ役といった役割が一般的だろう。矢倉さんはそうではなく、現地ビームサントリー社のグローバル事業スタッフとして配属され、日本本社にはレポートラインがない。目下の課題は、いかにアメリカの事業に貢献できるかである。

 「どこへ行ってもビジネスの基本は『人』であり、『他人を動かす』ことは、ビジネス成功の要だと思います。僕の場合、アメリカでの人間関係はゼロからのスタート、上司も、同僚もアメリカ人か、外国人です。そこで新しい組織では、誰がキーパーソンで、その人が何を重視するのか見極め、何が”Give”できるのかを考えるようにしています。まだ途上ですが、いつか相手から信用されるようになると嬉しいですね。」

 矢倉さんは、「挑戦者」でありながら、状況を見通す力やリスク管理能力が特に優れているように思う。全体を見渡し、組織の方向性と自分の可能性を照らし合わせて、新しく興味を惹かれる分野にチャレンジしていく。個と全体の最適なブレンドを模索しているようだ。

 矢倉さんのビジネスにおける将来の目標を聞いてみた。

 「お酒って生活必需品ではなく、嗜好品ですよね。サントリーグループでは、人生をちょっとでも豊かにするという商品を扱っているので、最終的にはお客さんを喜ばせたいという思いがあります。また、会社の中では、実績を積み上げて、『ややこしい案件はあいつに相談しよう』と思ってもらえるようなポジションを築きたいですね。まだまだ道半ばですが(笑)。」

 大企業の一員としての人生を、安泰だと考え、チャンスを与えられてもリスクを恐れて保守的になる若者が多い現代。しかし、矢倉さんは、大企業という大きなフィールドを、自分の可能性を最大限に試す場ととらえ、常に次の段階へ挑戦している。

 インタビュー後、ケロッグでの教え「コンフォートゾーンから抜け出す」ことが、人を成長させ、成功につなげるカギであり、となれば、チャレンジは本来とても楽しいものなのではないかと思えた。矢倉さんの挑戦はこれからまだまだ続くが、本記事を通して、一人でも多くの若きビジネスマンに、チャレンジ精神を呼び覚まして欲しいと願う。

取材・文責:ケイティ堀内/H&K グローバル・コネクションズ
グローバル思考の人と組織の魅力を伝えるブランド・プロデュース会社
矢倉純之介 プロフィール
interview19_profile

1980年生まれ
東京都出身

東京大学経済学部卒
2004年サントリー株式会社入社
約9年間洋酒を中心としたスピリッツ事業に従事した後、2013年に渡米し、ノースウェスタン大学ケロッグ校へ留学。
2015年に経営学修士(MBA)取得後、米国法人のビームサントリー社にて経営企画担当シニアマネジャーとして勤務。

矢倉純之介さん個人のFacebook https://www.facebook.com/juyagura
サントリーホールディングス株式会社 公式サイト http://www.suntory.co.jp/
ビームサントリー 公式サイト https://www.beamsuntory.com/

Comments