私が初めて内藤晴夫さんに出会ったのは2年前の2012年1月、来日した米国ケロッグ経営大学院 副学長 デビッド・オースティン・スミス氏との会食の席だった。
この時、内藤さんは卒業生代表として、本校に対して意見を述べていた。それは見事に流暢な英語で、来日した副学長を圧倒するほどの迫力と説得力があった。グローバル化した現在、英語で意見を主張できる人は増えたものの、ネイティブの心服を得るほどのスピーチができる日本人にはめったに出会えない。内藤さんのグローバル人としてのレベルの高さに感服させられた。
エーザイの社長、そして、ケロッグ日本同窓会の初代会長でもある内藤さんは言わずと知れた著名人であり、畏敬の念を抱かれる存在である。しかし、実際にインタビューでお会いした内藤さんは、真剣な表情の合間に優しさを見せ、ご自身をネタにしたユーモアを混ぜて、私達を和やかな笑いで楽しませてくださった。
本インタビューでは、ケロッグ同窓会創設のエピソード、さらに、エーザイを驚異的な成功に導いた内藤さんのビジネス哲学について、お話を伺った。とくに、失敗をしたときのマインドセットについては、読者の方はその奥深さを感じ、ビジネスに役立つ教訓にすることができるだろう。
ケロッグ同窓会創設のエピソード
1970年代といえば、まだ一般にMBAが認知されていなかった時代。 内藤さんは、海を渡って、シカゴ郊外のエバンストンにあるケロッグ経営大学院の門をくぐった。当時日本人留学生はごく少数で、当然ながら、日本人の同窓会組織も存在しなかった。内藤さんに、同窓会立ち上げ時のエピソードについて伺った。
―内藤氏
「この頃、ノースウェスタン大学のほうには日本人同窓会があったのですが、ケロッグMBA卒業生を対象とした日本人同窓会組織がありませんでした。ケロッグをトップクラスのビジネススクールへと成功させた、ドン・ジェイコブズ元学長からも、ぜひ日本に同窓会組織を作ってほしいと要請があって、YKKの吉田忠裕(よしだ・ただひろ)会長や慶應義塾大学 経営大学院の奥村昭博 (おくむら・あきひろ)教授らと共に、1980年代中半に立ち上げました。
でもいざ同窓会の会合を開いても卒業生はなかなか参加しない。 また参加してくれても、今度は会費が集まらない。常に財政問題に直面していましたよ。最初は、どうやったら会費がスムーズに集められるか、というオペレーション上の問題が主なトピックでしたね(笑)。
設立時からの最大の課題は、ケロッグというブランドが日本で理解されていないこと、でした。それで、会合でも、ケロッグがもっと日本で認知されるには何をすべきかという事を話し合う。しかし、MBAホールダーである卒業生たちがこうした議論をすると、皆、ロジカルに、かつ熱心に意見を出すので、まず意見の集約なんてできなかったですね(笑)。」
ケロッグのブランドの確立は今もなお課題である。アメリカ本土では「ケロッグを卒業した」というと、一般の人であっても、尊敬の対象となる高いネーム・バリューがあるが、日本では、MBA関係者以外での認知度はいま一つである。このギャップのせいで、日本人のビジネス・コミュニティーに、ケロッグの価値が十分伝わっていない。
「ケロッグの教育方針は、”コラボレーション型リーダーシップ”。卒業生は一般的に、周囲と協調しながら “縁の下の力持ち”として組織をリードするタイプが多く、表立って目立とうとする人が少ない。卒業生がどんな活躍をしているかが見えにくく、そんなことも理由のひとつでしょうね。」
内藤さん、吉田さん、そして奥村教授のような大企業を率いる経営者やリーダー達が、苦労の末に創設した同窓会組織(後に、ケロッグ・クラブ・オブ・ジャパン, KCJと改名)。現在、会長職は、加治慶光(かじ・よしみつ)氏(アクセンチュア株式会社 チーフ・マーケティング・イノベーター / 文部科学省参与)に引き継がれ、卒業生間の交流は、ビジネススクール随一といわれるほど活発になり、メンバーは600名を超す規模となった。
内藤さんの同窓会創設時の試行錯誤や、苦労話をお聞きして、ゼロから立ち上げ、小さな1歩でも、自らがコミットして努力を継続していけば、たとえ規模は小さくても、人を活かした素敵な組織を作ることができるという事を学んだ。
これからのMBA教育、そして、ケロッグの新カリキュラム
現在は自社から社員を留学させる立場となった内藤さんだが、実は、社会が求める素質と現在のMBA教育の在り方に少々ギャップを感じているという。
―内藤氏
「私が留学した70年代当時のMBAスクールへの考え方は、とにかく2年間 海外経験を積むとか、グローバルな仲間づくりのための留学といった感じがありました。しかし今はそんな理由では留学させる事はできない。むしろ、企業の海外オフィス等でオペレーションの経験をしたほうが力がつくこともある。現在、弊社ではビジネススクールへの留学方法について再評価している段階です。」
エーザイは、毎年1名の社員をケロッグかデューク(Fuqua School of Business)に留学させていた時期があったそうだ。そして社内には現在10名以上のケロッグ卒業生がいるという。そうした中で、内藤さんはこれから求められるMBAの価値において、もはや従来型のMBAプログラムを学ぶだけでは十分ではなく、Law(法律)や、エンジニアとのジョイント・MBAディグリーを専攻することや、経営者および上級管理職を対象とした短期間の”エグゼクティブ・MBAプログラム(EMBA)”などの活用も選択肢に入ると考えているそうだ。
「ケロッグ自体は、良い方向に変革していますよ。新学長であるサリー・ブラントはチームワーク志向のイメージから、ビジネスや社会全体の成長促進をドライブするスクールへ変革していきたい、と語っていました。
MBAのカリキュラムも一元的ではなく、マトリックス(縦横)で設計しているそうです。どういうことかと言うと、“ファイナンス”、“マーケティング”、“オペレーション”などを横軸にして、ビジネスの重要な課題である “パートナーシップ”、“ガバナンス”、“イノベーション”などを縦軸に通して、そこへ有能な教授陣を取りそろえていく、といったユニークな授業をデザインしているそうです。
こうした改革が実を結べば、これからのケロッグはさらに成長を遂げ、多くのトップビジネススクールの中でも、明確に差別化できると考えます。」
かつてのビジネススクールは卒業したというだけでも価値があったが、MBAホルダーが以前より珍しくなくなった現代、より教育内容の独自性・多様性が重要となってきているといえるだろう。
失敗を超えて超一流となる~内藤流 マインドセット
内藤さんには独自の「成功哲学」があるという。それは意外にも「失敗」から学ぶという手法だと聞いて、驚いた。なぜなら、内藤さんはエーザイ創業社長の孫として生まれ、順風満帆にエリートの道を歩んでこられた方だと思っていたからだ。
一体、どんな失敗経験があったのだろうか。
―内藤氏
「失敗は、本当はしないほうがいいんですよ(笑)。部下にも失敗するなよ、とまずはいいます。でも、どれだけ入念に準備しても、なぜか失敗してしまうんですねえ。実は、ビジネスにおける成功なんて、100個のうち、1個か2個、つまり、失敗というのは、このリアルワールドでは避けられない事実なんです。ですから、大切なのは、そんな時にどういう心構えでいるか、ということが重要です。
失敗したときに得られる教訓の方が、成功時よりも遥かに大きいことをご存じですか? なぜなら、人は成功すると、なぜ成功したかなんて分析しませんからね。せいぜいシャンパンで祝杯を上げて、カラオケに行ったりするくらいです(笑)。でも、失敗した場合は、何故そうなったのか、どうしたら状況を改善できるのか、深刻に、2年でも3年でも、納得がいくまでずっと考える。この学びが骨身に染みて、やがては、自分の人生の方向性を変えるくらいの大きな教訓となるわけです。
実は90年代後半に、当社はある公正取引関連で過去に例をみないほどの大変な事態に直面しました。それが一段落するまでには5年近くかかりましたが、その間ずっと耐え忍ばなければならなかった。私も、会社も、身を切るような厳しい選択を迫られ続けました。
こうした経験から言わせていただくと、失敗したときのコツは、「逃げないこと」、に尽きます。戦わなくてもいい。その場から逃げず、じっと状況に身を任せておくだけでもいい。なぜなら、逃げないで立ち向かえば、そんなに悲惨な結果にならず、最悪な事態を免れられるからです。
ビジネスの最終的な解決者は、”時(とき)”であり、それはビジネスの女神ともいえますね。どんな困難でも、時がたてば必ず終わりが来る。その機を待ちながら、耐え忍ぶことが重要なのです。」
実際、エーザイの危機的な経験から、内藤さんは会社のあり方を、組織・開発・管理など全ての面から根本的に見直した。その結果、同社は組織的に改革を遂げ、グローバルな企業へと成功することができたのである。
企業理念を 心を込めて実践する
かつての製薬業界は、マーケティングという視点は二の次で、医師の視点だけをもとに商品開発を行っていたそうだ。内藤さんが社長に就任してから、エーザイはエンドユーザーである患者さんに視点を置くという企業理念を明確にし、数々の改革を成し遂げていった。そして文字通り日本・世界でもトップクラスの製薬会社に成長させたのだ。
―内藤氏
「エーザイと言えば、皆さんはHHC (ヒューマン・ヘルスケア)を真っ先に思い出されるのではないでしょうか。この企業理念は決して概念上だけの目標ではありません。社員全体が実践を通じて、患者様を理解し、理念の重要性を感じてもらえるようにしています。
我々の商品を使用するのは患者さんですから、患者さんのことを徹底的に理解することが重要だと考えています。そのために、まず全社員が業務の1%を、患者さんと過ごす時間に充ててもらっています。年間2.5日くらいですね。例えば、がん患者さんなどに食事を届けて一緒に会話したりしています。
こうした取り組みは海外の、特にアジアの社員は喜んで熱心にやってくれていますね。そこまでやってはじめて、企業理念がひとりひとりに浸透していくのだと思います。」
インタビューを終えて、創業家のご出身でありながら驕る事なく、むしろ失敗から学び、他人からのアドバイスを謙虚にうけとめ、成長へつなげることのできる内藤さんに真のリーダーの姿をみた。
高いゴールを目指せば、多くの壁と試練が待っている。あきらめずに何度も挑戦し、問題を乗り越えた人には、困難を耐え抜き、チャンスをものにする力が与えられる。内藤さん率いるエーザイは、これからますます業界を変革する存在となっていくに違いない。
グローバル思考の人と組織の魅力を伝えるブランド・プロデュース会社
内藤 晴夫 プロフィール
エーザイ株式会社 取締役 兼 代表執行役CEO
1972年(昭和47年) 3月 慶應義塾大学商学部卒業
1974年(昭和49年) 6月 ノースウェスタン大学経営大学院修了
MBA取得
(現 ケロッグスクール オブ マネジメント)
1974年(昭和49年) 7月 スターリングドラッグ社(米国)入社
1975年(昭和50年)10月 エーザイ株式会社入社
1983年(昭和58年) 6月 取締役就任
1985年(昭和60年) 4月 研究開発本部長
1988年(昭和63年) 4月 代表取締役社長
1998年(平成10年) 5月 日本製薬工業協会(JPMA)副会長就任 現在に至る
1999年(平成11年) 4月 英国よりCBE(名誉大英勲章)受章
2004年(平成16年) 6月 取締役 代表執行役社長(CEO)
2009年(平成21年)11月~2010年(平成22年)11月
国際製薬団体連合会(IFPMA)会長
2012年(平成24年) 5月~2014年(平成26年)5月
日本製薬団体連合会(FPMAJ)会長
2012年(平成24年) 5月~2014年(平成26年)5月
ドルダーグループ(Dolder Group*)会長
2013年(平成25年) 7月 ロンドン大学(UCL)より名誉学位を受領
2014年(平成26年) 6月 取締役 代表執行役CEO就任 現在に至る
2014年(平成26年) 4月 英国よりKBE(名誉大英勲章)受章
※研究開発型グローバル製薬企業のトップによる会合