近代マーケティングの父 フィリップ・コトラー教授の知られざる魅力

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ケロッグ経営大学院の改革に学ぶ
(1) 変革リーダー、ドン・ジェイコブスの素顔

鳥山正博
立命館大学 経営大学院教授

本連載では、米国でDean of Deans(ディーンの中のディーン)と呼ばれたケロッグ経営大学院の名ディーン、ドン・ジェイコブスを紹介するとともに、ケロッグ校の改革の軌跡を追う。そのダイナミックな施策から日本のビジネススクールが学ぶべきこと、そして一人の教育者の生き様から学ぶべきことを示したい。

※本記事は、2015年9月にDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューのウェブサイトに掲載されたコラムを転載したものです。

伝説のディーン、コトラーを招聘する

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ドン・ジェイコブス氏(現在は名誉ディーン)は一言で言えば1975年から26年間ケロッグのディーンを務め、ケロッグ・スクールを世界トップスクールに押し上げた功労者である。なお、ディーンとは日本語に訳すと「学部長」となるが、米国の総合大学は日本のそれとは異なり、分野ごとのスクールに分かれ、それぞれが学部や大学院、エグゼクティブエデュケーションのプログラム等を持つという構造をなす。ディーンとは、そのスクールの長で、日本で言う学部長や研究科長とは厳密には異なるためカタカナ表記でディーンと示すことにする。

さて、1970年代にはトップ10に入るか入らないかだったノースウェスタン大学ケロッグ校(ケロッグを名乗るのは1979年)は 、1985年、『ウォールストリートジャーナル』のランキングで初めて1位に輝いた。その後1988年より隔年で実施されている『ビジネスウィーク』のランキングでは、ジェイコブス在任中に行われた7回のうち、1位が3回、2位が3回、3位が1回であった。

同一のランキングで30年40年と辿れるものがないため厳密なことは言えないが、ジェイコブスが在任中の26年のうちにトップスクールに押し上げたという形容は間違っていないだろう。また、実績が上がっていたからこそ26年にもわたってディーンとして君臨し続けたとも言える。

さて、もともとは経済学を専攻し、コロンビア大学で博士号を取得したジェイコブスは1957年にノースウェスタン大学のビジネススクールにファイナンスの教員として奉職している。その頃、ハーバード大学の各分野の社会科学者の俊英に数学を教える1年間のプログラムに参加したジェイコブスは、そこでコトラーと出会い、のちにコトラーをケロッグに招聘している。

ジェイコブスは専門のファイナンス分野では、下院の銀行通貨委員会や財政構造と規制に関する大統領委員会等の政府の仕事もしつつ、前任者のジョン・バー(1965〜1975)時代の改革を支え、1975年より第10代のディーンに就任する。本連載で詳述するが、経済学ベースのファイナンスの教授だったジェイコブスが結果的に行った大改革は、マーケティングと組織行動論的なイノベーションだった。

米国MBA教育の歴史

さて、ここで米国のビジネススクールの歴史を簡単に振り返りたい。

1881年設立されたペンシルバニア大学のウォートン校が、米国のはじめてのビジネススクールとされる。その後、1900年にはダートマス大学がはじめてのマスターレベルの学位を出し、1908年にはハーバード・ビジネススクールが設立される。そして1920年代1930年代には、現代の有名校の多くが設立されている。1924 年にはミシガン大学のビジネススクールが設立され、ウォートンもはじめてのMBAを出している。1925年にはスタンフォード・ビジネススクール、1930年にはMITスローンスクールが開設され、1935年にはシカゴ大学がMBAを出している。

どこもハーバードのケースメソッドを部分的には採用しつつなんらかの差別化を試みたが、ハーバードがトップとして君臨し続けたという歴史である。

ただし、その頃は学生数からすれば学部レベルの商学部教育がメインであった。

戦後になって多くの大学がMBAプログラムを開始し、MBA総数は1970年代1980年代に激増した。

ケロッグ校の歴史

ノースウェスタン大学のビジネス教育の歴史は1908年にさかのぼる。当初は夜間部の学部レベルの教育で、1919年にMBAを開始し、1951 年にはエグゼクティブエデュケーションも開始している。しかし、基本的には学部教育中心であった。

その歴史の中での最大の意思決定は、1966年に歴史ある学部レベルの教育から完全に撤退し、大学院レベルに集中したことである。また、マネジメントは政府や病院等のビジネス以外の組織にも普遍的に存在するので、ビジネススクールでなくマネジメントスクールを名乗り、MBAではなくMM(Master of Management)という学位を授与していた。

ジェイコブスのディーンとしての貢献

その後1975年にディーンとなったジェイコブスは何をしたのか。

それは、ハーバード式の個人対個人の戦いのケース教育からチームアプローチへの変革、フィリップ・コトラー教授を中心にマーケティング分野を強化し「マーケティング・スクール」としてのブランドの確立、アレン・センターの開設によるエグゼクティブ教育を強化、世界的な若い学者の採用などである。

また、入試においては全員に面接を課し、その入学選考委員会を学生中心に組成、といったことも行った。これらが戦略的・有機的につながった一連の策であったということを本連載で明らかにしていきたい。

(第2回につづく)

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著者プロフィール

鳥山正博

鳥山 正博
立命館大学 経営大学院教授
[専門分野] マーケティング戦略、マーケティングリサーチ、
エージェントベースシミュレーション
[主な経歴・業績]
国際基督教大学卒(1983)、ノースウェスタン大学ケロッグ校MBA(1988)、 東京工業大学大学院修了、工学博士(2009)。
1983より2011まで株式会社野村総合研究所にて経営コンサルティングに従事
業種は製薬・自動車・小売・メディア・エンタテインメント・通信・金融等と幅広く、マーケティング戦略・組織を中心にコンサルテーションを行う。とりわけテクノロジーベースのマーケティングイノベーションと新マーケティングリサーチインフラの構築が関心領域。マーケティングリサーチ・メディア・小売領域でビジネスモデル特許出願多数。社団法人日本マーケティング協会のマーケティングサイエンス研究会のコーディネーター。市場調査会社・テキストマイニングベンチャー等数社の顧問
『社内起業成長戦略』(マグロウヒル 2010 監訳)「企業内ネットワークとパフォーマンス」(博論 2009 社会情報学会博士論文奨励賞) 「エージェントシミュレーションを用いた組織構造最適化の研究 : スキーマ認識モデル」(電子情報通信学会誌 2009)「Pareto law of the Expenditure of a Person in Convenience Stores」(Physica A 2008)「電子メールログからの企業内コミュニケーション構造の抽出」(組織科学 2007) 「広告メディア激動の近未来」(知的資産創造 2007)
「技術革新と流通業の進化」(知的資産創造 2005)「日本の流通組織の生産性」(組織科学 1993)ほか。
[関連サイト]
立命館大学 経営大学院
http://www.ritsumei.ac.jp/mba/
ウィキペディア/鳥山正博
http://ja.wikipedia.org/wiki/鳥山正博
フェイスブック/鳥山正博
http://www.facebook.com/masahiro.toriyama

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